SnapshotとAragonを連携したカスタム投票戦略の実装:オンチェーン・オフチェーン複合型ガバナンスの設計とセキュリティ
分散型自律組織(DAO)のガバナンスは、ブロックチェーン技術の進化とともにその複雑性と重要性を増しています。特に、DAOが管理する資産規模や影響範囲が拡大するにつれて、標準的な投票メカニズムだけでは対応しきれない、より洗練されたカスタム投票戦略の需要が高まっています。本稿では、オフチェーン投票の代表的なプラットフォームであるSnapshotと、オンチェーンガバナンスフレームワークであるAragonを連携させ、独自の投票戦略を実装するための技術的なアプローチ、設計上の考慮事項、そしてセキュリティとガス効率に関するベストプラクティスについて解説します。
複合型ガバナンスにおけるカスタム投票戦略の必要性
DAOガバナンスにおける投票は、プロトコルのアップグレード、資金配分、パラメータ調整など、多岐にわたる意思決定プロセスを支える基盤となります。しかし、一般的な「1トークン1票」や「クアドラティック投票」といった標準的な戦略では、DAO特有の課題や目指すガバナンスモデルに完全に適合しない場合があります。例えば、以下のような要件が考えられます。
- 特定のNFT保有者のみが投票権を持つ
- 参加者のプロトコル利用履歴や貢献度に応じた投票力の加重
- 特定の役割を持つメンバーのみが提案できる、あるいは拒否権を持つ
- 複数の議案を一括で承認または拒否するメカニズム
このような複雑な要件を満たすためには、既存のガバナンスフレームワークを拡張し、カスタムの投票戦略を導入する必要があります。Snapshotの柔軟な戦略定義機能とAragonのスマートコントラクトによるプログラマブルなガバナンスは、これらのカスタム要件を実現するための強力な基盤を提供します。
Snapshotにおけるカスタム投票戦略の実装
Snapshotは、ガス代不要で柔軟なオフチェーン投票を可能にするプラットフォームです。その中核には、特定の投票期間におけるユーザーの「投票力(Voting Power)」を計算するための投票戦略(Voting Strategy)があります。
Snapshotの投票戦略フレームワーク
Snapshotでは、snapshot.js
ライブラリと@snapshot-labs/strategies
パッケージを用いてカスタム戦略を実装します。戦略はJavaScriptで記述され、通常はSubgraphや直接的なRPCコールを介してオンチェーンデータを参照し、投票力を計算します。
カスタム戦略の基本構造:
Snapshotのカスタム戦略は、getVp
という非同期関数を実装することが基本です。この関数は、投票者のアドレス、提案のブロック番号、ネットワークID、戦略のパラメータなどの情報を引数として受け取り、その投票者の投票力を返します。
// Example: 特定のERC-721トークンの保有数に応じた投票力
// このコードは概念的なものであり、実際の環境ではSubgraphの利用を推奨します。
const { getAddress } = require('@ethersproject/address');
const { BigNumber } = require('@ethersproject/bignumber');
const { call } = require('../utils'); // RPCコールユーティリティ
async function strategy(
space,
network,
provider,
addresses,
options,
snapshot
) {
const blockTag = typeof snapshot === 'number' ? snapshot : 'latest';
// オプションで指定されたERC-721コントラクトアドレス
const contractAddress = options.address;
if (!contractAddress) return {};
const tokenBalances = await call(
provider,
['erc721', 'balanceOf'], // ABIと関数シグネチャ
[contractAddress, addresses],
{ blockTag }
);
const vp = {};
addresses.forEach((address, i) => {
vp[getAddress(address)] = BigNumber.from(tokenBalances[i]).toNumber();
});
return vp;
}
module.exports = { strategy, example: '...' };
上記の例は、指定されたERC-721トークンの保有数に基づいて投票力を計算する概念的なロジックです。実際には、Subgraphを利用して大量のデータを効率的にクエリしたり、より複雑なロジック(例:ロック期間、プロトコル利用歴など)を実装したりすることが一般的です。
実装時の注意点
- データソースの信頼性: 投票力の計算に用いるオンチェーンデータは、信頼できるソース(例:公式のSubgraph、信頼性の高いRPCプロバイダー)から取得してください。
- 計算の複雑性:
getVp
関数は、多数の投票者に対して実行される可能性があるため、計算コストが高いロジックは避けるか、Subgraphのような最適化されたデータレイヤーを活用してください。Snapshotはオフチェーンですが、計算効率はユーザー体験に直結します。 - テストと検証: 開発したカスタム戦略は、さまざまなシナリオとデータセットで徹底的にテストし、期待通りの投票力を計算することを確認してください。
Aragonにおけるオンチェーンカスタム投票ロジックの実装
Aragonは、DAOの構成要素をモジュール式のアプリケーションとして提供するオンチェーンガバナンスフレームワークです。コアとなるAragon OSの上に、投票、資金管理、権限管理などのアプリケーションを構築できます。
Aragon DAOフレームワークの概要
Aragon DAOは、Aragon OS
というスマートコントラクト群を基盤としています。これは、ACL(Access Control List)を核とする柔軟な権限管理システムと、アップグレード可能なプロキシパターンによって特徴づけられます。カスタム投票ロジックを実装するには、既存のVoting
アプリを拡張するか、完全に新しいカスタムアプリケーションを開発する方法があります。
カスタムVotingアプリの設計:
既存のVoting
アプリは、ERC-20トークンを用いた基本的な投票機能を提供します。これを超えたカスタムロジックを実装する場合、AragonApp
を継承した新しいスマートコントラクトを開発し、DAOにデプロイします。
// Example: 特定の条件を満たすウォレットのみが投票できるカスタムVotingアプリ
// このコードは概念的なものであり、セキュリティ監査やAragon OSとの連携を考慮した完全な実装ではありません。
pragma solidity ^0.4.24; // Aragon OS 1.x の一般的なバージョン
import "@aragon/os/apps/AppStorage.sol";
import "@aragon/os/kernel/IKernel.sol";
import "@aragon/os/acl/ACL.sol";
import "@aragon/apps-voting/contracts/Voting.sol"; // 既存のVotingアプリを参考に
contract CustomVotingApp is AppStorage, Voting { // Votingを継承または参照
// 独自の条件を管理するストレージやマッピング
mapping(address => bool) public protocolContributor;
// 適切な初期化関数とパーミッション設定が必要です
function initialize(
address _token,
uint64 _supportRequiredPct,
uint64 _minAcceptQuorumPct,
uint64 _voteTime
)
public
onlyInit
{
// 親コントラクトのinitializeを呼び出す
Voting.initialize(_token, _supportRequiredPct, _minAcceptQuorumPct, _voteTime);
// その他の初期化ロジック
// ...
}
// 投票前に呼び出される可能性のあるカスタムチェック関数
function canVote(uint256 _voteId, address _voter) public view returns (bool) {
// 既存のcanVoteロジックに加えて、独自の条件を検証
bool baseCanVote = super.canVote(_voteId, _voter); // 親コントラクトのcanVoteを呼び出し
// 例: 特定のアドレスのみが投票できる
if (!protocolContributor[_voter]) {
return false;
}
// さらに複雑な条件を追加可能
// ...
return baseCanVote;
}
// 外部から貢献者を登録する関数 (適切なパーミッション設定が必要)
function setContributor(address _contributor, bool _isContributor) public auth(MODIFY_CONTRIBUTOR_ROLE) {
protocolContributor[_contributor] = _isContributor;
}
// Aragon ACLのパーミッションロール定義
bytes32 public constant MODIFY_CONTRIBUTOR_ROLE = keccak256("MODIFY_CONTRIBUTOR_ROLE");
// ...
}
上記のSolidityコードスニペットは、特定のprotocolContributor
のみが投票できるようなcanVote
関数を持つカスタムVotingアプリの概念を示しています。このようなコントラクトをAragon DAOにデプロイし、適切なパーミッションを設定することで、高度なオンチェーンガバナンスロジックを実現できます。
実装時の注意点
- スマートコントラクトの複雑性: Solidityでカスタムロジックを実装する場合、セキュリティリスクが飛躍的に高まります。徹底的なテスト、形式的検証、専門家による監査が不可欠です。
- 既存プロトコルとの互換性:
Aragon OS
のバージョン、Voting
アプリのバージョン、またはその他の連携するコントラクトとの互換性を常に考慮してください。 - アップグレード可能性: Aragon DAOはプロキシパターンを利用しており、アプリケーションロジックのアップグレードが可能です。しかし、ストレージレイアウトの変更には細心の注意を払い、
eternal_storage
パターンを理解して利用してください。
SnapshotとAragonの連携による複合型カスタム戦略
真に強力なDAOガバナンスは、オフチェーンの議論と投票の効率性、そしてオンチェーンの執行の信頼性を組み合わせることで実現されます。SnapshotとAragonを連携させることで、この複合型ガバナンスを実現できます。
連携アーキテクチャ
- オフチェーンでのプロポーザルと投票(Snapshot): 比較的複雑な投票戦略を用いて、ガス代不要でコミュニティの意見を幅広く集約します。
- オンチェーンでの結果検証と執行(Aragon): Snapshotでの投票結果をオンチェーンのAragon DAOが検証し、その結果に基づいて、Aragonアプリの実行やDAO資産の移動などのアクションを行います。
この連携を実現するためには、Snapshotの投票結果をオンチェーンで安全に利用するメカニズムが必要です。これは、以下のような方法で実現できます。
- オフチェーン署名とオンチェーン検証: Snapshotの投票結果を元に、権限を持つ署名者(DAOのマルチシグウォレットなど)がトランザクションに署名し、それをAragon DAOが検証して実行する。
- プロポーザル実行コントラクト: Snapshotの提案が承認された場合、その結果をWeb3.js/Ethers.jsを用いたスクリプトが監視し、オフチェーンで署名されたデータ(例:
Snapshot.org
のAPIから取得した投票結果のハッシュと署名)をAragon DAOが管理するオンチェーンの実行コントラクトに送信します。このコントラクトは、受け取ったデータが有効であることを検証した上で、Aragon DAOの特定のアプリを呼び出します。
// Example: Snapshotの投票結果をオンチェーンで検証・実行する概念的なEthers.jsコード
// このコードは概念的なものであり、実際の環境ではセキュリティとエラーハンドリングを強化する必要があります。
const { ethers } = require('ethers');
const snapshot = require('@snapshot-labs/snapshot.js'); // Snapshot SDKの利用を想定
// ... (プロバイダー、ウォレットの初期化) ...
const provider = new ethers.JsonRpcProvider('YOUR_ETHEREUM_RPC_URL');
const wallet = new ethers.Wallet('YOUR_PRIVATE_KEY', provider);
// Aragon DAOのカスタム実行コントラクトのABIとアドレス
const customExecutorAbi = [...]; // 実行コントラクトのABI
const customExecutorAddress = '0x...';
const customExecutor = new ethers.Contract(customExecutorAddress, customExecutorAbi, wallet);
async function executeProposalBasedOnSnapshot(proposalId) {
// 1. Snapshot APIから提案の詳細と投票結果を取得
// 実際のアプリケーションでは、Snapshot HubまたはSubgraphからデータを取得します
const proposal = await snapshot.utils.subgraph.getProposal(proposalId);
const votes = await snapshot.utils.subgraph.getVotes(proposalId);
// 2. 投票結果の集計と検証 (例: 承認されたかどうか)
const totalVotesFor = Object.values(votes).reduce((sum, vote) => {
if (vote.choice === 1) return sum + vote.vp; // 承認の選択肢が1の場合
return sum;
}, 0);
const totalVotesAgainst = Object.values(votes).reduce((sum, vote) => {
if (vote.choice === 2) return sum + vote.vp; // 拒否の選択肢が2の場合
return sum;
}, 0);
// 承認条件の確認
if (totalVotesFor <= totalVotesAgainst) {
console.log('Proposal not approved off-chain.');
return;
}
// 3. オンチェーン実行に必要なデータを準備
// 例: Snapshotの提案ハッシュ、実行するAragonアプリのアドレス、呼び出す関数データなど
const snapshotProposalHash = ethers.utils.solidityKeccak256(["string"], [proposal.id]);
const targetAragonApp = '0x...'; // Aragon DAO内のターゲットアプリ
const callData = '0x...'; // ターゲットアプリで実行する関数のエンコード済みデータ
// 4. カスタム実行コントラクトを介してAragon DAOアクションを発動
// 実行コントラクトは、Snapshotの投票結果を検証するロジックを持つべきです。
// 例: Snapshotの署名済みメッセージハッシュを引数として渡す
const tx = await customExecutor.executeAragonAction(snapshotProposalHash, targetAragonApp, callData);
await tx.wait();
console.log(`Aragon action executed for Snapshot proposal ${proposalId}. Tx hash: ${tx.hash}`);
}
// executeProposalBasedOnSnapshot('some-snapshot-proposal-id');
この連携モデルでは、オンチェーンの実行コントラクトが、Snapshotの提案が実際に承認されたことを検証し、Aragon DAOのセキュリティコンテキスト内でアクションを実行します。
実装時の注意点
- 信頼の境界: オフチェーンの情報をオンチェーンで利用する際には、情報の信頼性と整合性を確保することが最も重要です。SnapshotのAPIからのデータが改ざんされていないこと、正しい提案IDと結果であることなどを検証するメカニズムを構築してください。
- データの一貫性: オフチェーン投票とオンチェーン執行の間で、投票力の計算方法や条件に不整合がないことを確認してください。
- リプレイアタック対策: 同じ投票結果が複数回実行されないよう、提案IDやブロック番号などを用いて実行済みフラグをオンチェーンで管理するなどの対策が必要です。
セキュリティとガス効率の考慮事項
ガバナンスシステムはDAOの心臓部であり、そのセキュリティと効率性はプロジェクトの存続に直結します。
セキュリティ監査の観点
- 投票権の誤計算: カスタム投票戦略が意図しない方法で投票力を計算したり、特定のユーザーに不当な優位性を与えたりしないか、厳密にレビューしてください。
- 外部依存関係の脆弱性: Oracle、外部API、サブグラフなど、オンチェーン・オフチェーンで参照する全てのデータソースの信頼性と耐障害性を評価してください。単一障害点とならないよう注意が必要です。
- アクセス制御の不備: AragonのACLは強力ですが、その設定を誤ると、意図しないアドレスが重要なアクションを実行できてしまう可能性があります。最小権限の原則を徹底し、重要なロールにはマルチシグを組み合わせることを検討してください。
- 投票操作: フラッシュローンなどを利用した短期的なトークン保有による投票操作(Vote Buying)を防ぐための対策(例:提案期間の延長、投票権のロック期間設定、オンチェーンでの投票権計算にタイムロックを導入など)を検討してください。
- プロキシパターンのリスク: アップグレード可能なコントラクト(Aragonアプリなど)は、ロジックの変更が可能であるため、アップグレードプロセス自体がセキュリティリスクとなります。アップグレードはガバナンス投票によってのみ承認されるべきであり、その投票プロセスも堅牢である必要があります。
ガス効率の良い設計
- オフチェーン計算の活用: 複雑でガス消費量の多い計算は、可能な限りSnapshotのようなオフチェーン環境で行い、オンチェーンではその結果の検証のみに留めることで、トランザクションコストを大幅に削減できます。
- ストレージアクセスと計算量の最適化: Solidityコントラクトでは、ストレージの読み書きが最もガス消費量の多い操作の一つです。必要最小限のデータのみをストレージに保存し、計算ロジックは可能な限り効率化してください。
- データ構造の選択: マッピングや配列などのデータ構造は、その利用パターンによってガス消費量が大きく異なります。適切なデータ構造を選択し、アクセスパターンを考慮した設計を行ってください。
- クロスチェーンガバナンスのコスト: 異なるブロックチェーン間の連携が必要な場合、ブリッジやメッセージングプロトコルにかかるガス代も考慮し、その頻度とコストのバランスを最適化する設計が求められます。
結論と今後の展望
SnapshotとAragonを連携させたカスタム投票戦略は、DAOが直面する多様なガバナンス要件に対応するための強力なソリューションを提供します。これにより、DAOはより柔軟で、かつ堅牢な意思決定プロセスを構築できます。
しかし、その実装には、技術的な深い理解、セキュリティに関する洞察、そしてガス効率を考慮した設計が不可欠です。開発者は、公式ドキュメントやコミュニティのリソースを最大限に活用し、徹底的なテストと監査を通じて、安全で持続可能なガバナンスシステムを構築することが求められます。
将来的には、クロスチェーンガバナンスの進化、SBT(SoulBound Tokens)やDID(Decentralized Identifiers)といった新しい認証メカニズムとの連携、さらにはAIを活用したガバナンスの自動化など、DAOガバナンスはさらなる発展を遂げるでしょう。これらの技術革新は、カスタム投票戦略の可能性をさらに広げ、より公平で効率的な分散型社会の実現に貢献すると考えられます。