DAOガバナンスにおける投票戦略のガス効率最適化と参加型設計パターン:SnapshotとAragonを活用した実践的アプローチ
導入:DAOガバナンスにおけるガス効率と参加の重要性
分散型自律組織(DAO)のガバナンスは、プロトコルやコミュニティの意思決定において中核的な役割を担います。しかし、オンチェーンでの投票プロセスは、高額なガス料金や複雑な手順によって投票参加率が低下し、ガバナンスの活性化を阻害する可能性があります。特に、ブロックチェーン開発者にとって、これらの課題は単なるコスト問題に留まらず、システムの設計思想や持続可能性に深く関わる技術的課題として認識されています。
本記事では、SnapshotとAragonという二つの主要なガバナンスツールを組み合わせ、投票戦略におけるガス効率の最適化と、より多くの参加を促す設計パターンについて、具体的な技術的側面から深く掘り下げて解説します。カスタム投票戦略の実装、既存プロトコルとの互換性、ガバナンスロジックのセキュリティ監査、ガス効率の良い実装、独自の投票戦略やシステムの実装といった、ブロックチェーン開発者が直面する具体的な課題の解決に焦点を当てます。
投票戦略におけるガス効率の課題と解決策の方向性
オンチェーン投票のガスコストは、特にEthereumメインネットにおいて、ガバナンス参加の大きな障壁となっています。これは、ユーザー体験の悪化だけでなく、ガバナンスへのインクルージョンを阻害し、少数のアクティブな参加者に権力が集中するリスクを高める可能性があります。この課題に対し、主に以下の解決策が模索されています。
- オフチェーン投票システム(例:Snapshot)の活用: 投票の署名のみをオンチェーン外で行い、結果をオンチェーンで参照または実行するアプローチです。これにより、個々の投票アクションにかかるガス料金を大幅に削減できます。
- L2スケーリングソリューションの導入: Optimism、Arbitrumなどのレイヤー2ソリューション上でガバナンスを展開し、トランザクションコストとスループットを改善します。
- スマートコントラクトの最適化: オンチェーン投票や実行ロジックにおいて、Solidityコードのガス消費量を最小限に抑える設計を追求します。
- 効率的なガバナンス設計パターン: Lazy ConsensusやDelegated Votingなどのメカニズムを導入し、不必要なオンチェーントランザクションを削減します。
本記事では、特に1と3、4に焦点を当て、実践的な実装方法を詳述します。
Snapshotを活用したガス効率の良いオフチェーン投票システムの設計
Snapshotは、ガストランザクションを伴わないオフチェーンでの署名投票を可能にするプラットフォームであり、投票のハードルを大幅に下げます。Snapshotの核となる機能は、「Strategies」と呼ばれるカスタム投票ロジックです。
カスタム投票戦略(Strategies)の実装
SnapshotのStrategyは、特定のブロックチェーン上の状態(ERC-20トークン残高、NFT所有、特定のコントラクトの状態など)に基づいて、ユーザーの投票権を計算するためのスマートコントラクトです。これらのStrategyは、SnapshotのUIから選択され、各提案に対して投票権を動的に決定します。
例えば、特定のNFTを保有しているユーザーにのみ投票権を与えるStrategyを実装する場合、以下のようなSolidityコードを検討できます。
// SPDX-License-Identifier: MIT
pragma solidity ^0.8.0;
import "@openzeppelin/contracts/token/ERC721/IERC721.sol";
// SnapshotのStrategyインターフェースを模倣したシンプルな例
// 実際のSnapshot Strategyはより複雑なインターフェースを持つ
interface ISnapshotStrategy {
function getVotingPower(
address space,
address voter,
uint256 blockNumber,
bytes memory payload
) external view returns (uint256);
}
contract NFTVotingStrategy is ISnapshotStrategy {
IERC721 public nftContract;
constructor(IERC721 _nftContract) {
nftContract = _nftContract;
}
// `payload`は必要に応じて追加のパラメータをエンコードするために使用
function getVotingPower(
address, // space: ガバナンススペースのアドレス (ここでは未使用)
address voter,
uint256, // blockNumber: 投票が行われたブロック番号 (スナップショット用)
bytes memory // payload: カスタムデータ (ここでは未使用)
) external view override returns (uint256) {
// NFTのバランスを投票権とする
return nftContract.balanceOf(voter);
}
}
このコントラクトは、指定されたNFTコントラクトのbalanceOf
を呼び出し、その結果を投票権として返します。このコントラクトをデプロイし、Snapshotのスペース設定でこのStrategyコントラクトのアドレスを指定することで、カスタム投票ロジックを導入できます。
Snapshot API (Hub, Subgraph) を用いた投票情報の取得と検証
Snapshotは、投票データ管理のためにIPFS、The Graphを活用しています。開発者はこれらのAPIを通じて投票データにアクセスし、カスタムロジックに統合できます。
GraphQLを用いたSubgraphへのクエリ例を以下に示します。これにより、特定のスペースにおける提案とその投票結果を取得できます。
query GetProposalsAndVotes {
proposals(
where: {
space_in: ["your-space-id.eth"], // 対象のスペースID
state: "closed" // 完了した提案
}
orderBy: "created"
orderDirection: desc
) {
id
title
state
scores
scores_total
votes
}
votes(
where: {
space_in: ["your-space-id.eth"],
proposal: "0x..." // 特定の提案ID
}
orderBy: "created"
orderDirection: desc
) {
id
voter
vp
choice
}
}
このクエリを通じて取得したデータは、オフチェーンでの分析、ダッシュボード構築、あるいはオンチェーンでの最終的な実行判断のトリガーとして利用できます。Web3.jsやEthers.jsを用いたJavaScript/TypeScript環境では、axios
やgraphql-request
ライブラリなどを使用してSubgraphのエンドポイントにクエリを実行し、データを処理します。
注意点:オフチェーン投票の限界とオンチェーン実行
Snapshotは投票自体をオフチェーンで行うため、最終的なガバナンスアクション(例:プロトコルパラメータの変更、資金移動)は、オンチェーンのスマートコントラクトによって実行される必要があります。この連携には、多くの場合、マルチシグウォレットやAragon DAOのようなオンチェーンガバナンスフレームワークが利用されます。オフチェーン投票の結果をオンチェーンで実行する際の検証ロジックとセキュリティが重要となります。
Aragonを活用したオンチェーンガバナンスのガス最適化
Aragonは、DAOの作成と管理のための包括的なフレームワークを提供します。Aragon OSxやAragon Governなどの最新バージョンは、モジュール性、アップグレード可能性、そしてガス効率を重視して設計されています。
Aragon Governによるガス効率と柔軟なガバナンス
Aragon Governは、投票プロセスと実行ロジックを分離し、より柔軟でガス効率の良いガバナンスを可能にする新しいプロトコルです。Execution
モジュールとVoting
モジュールを組み合わせることで、特定の提案が承認された場合にのみオンチェーンでトランザクションが実行されるように設計できます。
Aragon Governの主なガス最適化のアプローチは以下の通りです。
- モジュール化: 各ガバナンス機能が独立したモジュールとして存在するため、必要な機能のみをロードし、不要なロジックによるガス消費を避けます。
- Lazy Consensus (怠惰な合意形成) の組み込み: 異議申し立てがない限り提案が自動的に承認されるメカニズムを採用することで、不要な投票トランザクションを削減し、迅速な意思決定を促します。
- バッチ処理: 複数のガバナンスアクションを単一のトランザクションで実行することで、ベースガス費用を節約します。
例えば、Aragon Governで提案を作成し、特定の条件で自動実行されるように設定するワークフローは、Aragon Client SDKを通じて実現できます。以下は、Aragon GovernのProposal SDKを用いた概念的な実装例です。
import {
Client,
Proposal,
VotingParams,
StatefulVotingPlugin,
} from "@aragon/sdk-client";
import { SupportedNetworks } from "@aragon/sdk-client-common";
import { providers } from "ethers";
// ... クライアントの初期化など
const client = new Client({
network: SupportedNetworks.GOERLI, // または目的のネットワーク
provider: new providers.Web3Provider(window.ethereum),
});
// 提案内容の定義
const metadata = {
title: "新規コントラクトデプロイ提案",
summary: "新しいプロトコル機能のためのコントラクトをデプロイします。",
description: "...",
// ... その他のメタデータ
};
// 実行されるトランザクション(ターゲットコントラクトへの呼び出しなど)
const transactions = [
{
to: "0xTargetContractAddress",
value: BigInt(0),
data: "0xMethodCallData", // ABI.encodeFunctionCallなどで生成
},
];
// 投票パラメータ(例: 閾値、期間など)
const votingParams: VotingParams = {
votingMode: StatefulVotingPlugin.VOTING_MODE_EARLY_EXECUTION, // Lazy Consensusなど
minProposerVotingPower: BigInt(100),
supportThreshold: BigInt(50), // 50%
minParticipation: BigInt(10), // 10%
votingDuration: 60 * 60 * 24 * 3, // 3日間
};
// 提案の作成
async function createNewProposal() {
try {
const { proposalId } = await client.createProposal({
metadata,
transactions,
pluginAddress: "0xVotingPluginAddress", // 使用する投票プラグインのアドレス
votingParams,
});
console.log(`提案が作成されました: ${proposalId}`);
return proposalId;
} catch (error) {
console.error("提案の作成中にエラーが発生しました:", error);
}
}
このコード例は、Aragon GovernのSDKを使用して提案を作成する概念を示しています。votingMode
やpluginAddress
の設定により、Lazy Consensusなどのガス効率の良いガバナンスメカニズムを適用できます。
参加型ガバナンスを促進する設計パターン
ガス効率の最適化と並行して、ガバナンスへの参加を促す設計パターンも重要です。
-
Lazy Consensus (怠惰な合意形成):
- 概要: 提案が一定期間内に特定の条件(例:反対票が閾値未満)を満たさない限り、自動的に承認・実行されるパターンです。全ての提案に対して積極的な投票を求めるのではなく、異議がある場合にのみ行動を促します。
- 利点: 投票者の心理的負担とガスコストを削減し、迅速な意思決定を促進します。Aragon Governはこのパターンをネイティブにサポートしています。
- 実装上の注意点: 異議申し立て期間と閾値の設定が重要です。短すぎると正当な反対意見が表明されにくく、長すぎると迅速性が失われます。
-
Delegated Voting (委任投票):
- 概要: 投票権を信頼できる第三者(デリゲーター)に委任することで、個々のユーザーが常に投票する必要性をなくします。
- 利点: 投票参加率の向上、専門知識を持つデリゲーターによる質の高い意思決定、個々のユーザーのガスコスト削減に貢献します。
- 実装: Snapshotはオフチェーンで委任をサポートしており、Aragon AgentやカスタムAragon Appでもオンチェーンでの委任ロジックを実装できます。ENSの
setDelegate
のような標準的なアプローチも参考になります。
-
Conditional Voting (条件付き投票):
- 概要: 特定の条件(例:提案が特定の資産移動を伴う場合、投票権の閾値が高い場合)が満たされた場合にのみ、オンチェーンでの投票を要求するパターンです。軽微な変更はオフチェーン投票で完結させ、重要な決定のみをオンチェーンに委ねます。
- 利点: ガスコストの高いオンチェーン投票を最小限に抑え、リソースを効率的に配分します。
- 実装: SnapshotとAragonの連携において、オフチェーン投票の結果を受けて、その結果が特定の条件を満たす場合にのみAragon DAOでオンチェーン提案を自動作成・実行するロジックを実装します。
-
Reward Mechanisms (報酬メカニズム):
- 概要: 投票参加者に対して、トークン報酬や投票ガス代の補填など、何らかのインセンティブを付与するメカニズムです。
- 利点: 投票への積極的な参加を促し、コミュニティのエンゲージメントを高めます。
- 実装: スマートコントラクトを通じて投票者アドレスを記録し、一定期間後に報酬を配布するシステムを構築します。これはガバナンスシステム本体とは分離された補助的なコントラクトとして設計されることが多いです。
セキュリティとガス監査の重要性
ガバナンスロジックのガス効率最適化と参加型設計は、セキュリティとのトレードオフを生じさせる可能性があります。
投票戦略ロジックのセキュリティ監査
カスタム投票戦略やガバナンスロジックは、シビルアタック、フラッシュローン攻撃、投票操作などの脆弱性に対して堅牢である必要があります。
- 投票権の算出ロジック: どのようなトークンやNFTを使用するか、その分配メカニズムが公平か、簡単に操作されないかを検証します。
- オンチェーン/オフチェーン連携: オフチェーン投票の結果をオンチェーンで実行する際の検証メカニズムが安全であるかを徹底的に監査します。署名の偽造、リプレイ攻撃、不正な提案の実行を防ぐための対策が必要です。
- タイムロックと緊急停止: 重要なアクションにはタイムロックを設けて、緊急時に停止できるメカニズムを組み込むことがベストプラクティスです。
ガス監査と最適化
Solidityコントラクトのガス消費量を最小限に抑えるためには、設計段階からの考慮と、デプロイ前の厳格なガス監査が必要です。
- ストレージの最適化: 状態変数のパック、不要なストレージ書き込みの回避。
- ループ処理の効率化: 大規模なデータセットに対するループは避け、オフチェーン処理やイベントによるインデックス作成を検討します。
- 外部呼び出しの最小化: 頻繁な外部コントラクト呼び出しはガスコストを増大させるため、必要最小限に留めます。
- イベントの使用: データの記録や通知には、ストレージよりもガス効率の良いイベントを活用します。
- ツール活用: Hardhat Gas Reporter、Solidity Visual Auditorなどのツールを用いて、コードのガスプロファイリングと最適化を行います。
異なるチェーンとの連携とガス効率
DAOガバナンスが単一のブロックチェーンに限定される時代は終わりつつあります。EVM互換チェーン間の連携は、異なるコミュニティへのリーチと、特定のチェーンの特性(低ガス代、高スループット)を活用する上で不可欠です。
クロスチェーンガバナンスの課題と解決策
クロスチェーンガバナンスは、異なるブロックチェーン上の資産やプロトコルを単一のガバナンスシステムで管理する複雑な課題を伴います。
- ガスコストと遅延: クロスチェーンメッセージングは、通常、複数のトランザクションを必要とし、L1での追加のガス消費と遅延が発生します。
- セキュリティモデル: ブリッジやメッセージングプロトコルのセキュリティに依存するため、脆弱性があればシステム全体がリスクに晒されます。
- 統一された投票権: 異なるチェーンに分散したトークンを、統一された投票権としてカウントするメカニズムが必要です。
解決策の方向性:
- 集中型オフチェーン投票: Snapshotのようなシステムを活用し、異なるチェーンのトークン残高をまとめてオフチェーンで投票権を計算し、その結果を各チェーンのマルチシグやガバナンスコントラクトで実行します。これにより、クロスチェーンメッセージングのガスコストと複雑さを削減できます。
- メッセージングプロトコルの活用: LayerZero、Wormhole、Axelarなどの汎用メッセージングプロトコルを利用し、ガバナンスアクションをチェーン間で安全に伝播させます。ただし、これらは追加のガスコストとレイテンシを伴います。
- モジュラーなガバナンス設計: 各チェーンに独立したガバナンスモジュールをデプロイし、それらを上位のメタガバナンスレイヤーで調整するアプローチも考えられます。
結論と展望
DAOガバナンスにおけるガス効率の最適化と参加型設計は、持続可能で分散化されたプロトコルを構築する上で不可欠な要素です。Snapshotによるオフチェーン投票の活用は、ユーザー体験を向上させ、ガスコストを大幅に削減する強力な手段となります。一方で、Aragonのようなオンチェーンガバナンスフレームワークは、Lazy Consensusやモジュール化を通じて、効率的かつ安全な意思決定プロセスを提供します。
ブロックチェーン開発者は、これらのツールや設計パターンを深く理解し、プロトコルの特性やコミュニティのニーズに合わせて適切に組み合わせることが求められます。セキュリティ監査とガス最適化は開発プロセスの初期段階から組み込み、常に最新の技術動向とベストプラクティスを追求することで、より堅牢で参加しやすいDAOガバナンスシステムを構築することが可能となります。今後のL2ソリューションの進化やクロスチェーン技術の成熟は、DAOガバナンスの可能性をさらに広げるでしょう。